|31年前の珍プレー 日本一有名な「隠し球」の主役たち 1/4ページ
2015年5月29日(肩書などは掲載時のもの)
隠し球、それは野手がボールを隠し持ち、走者がベースから離れた際に、タッチアウトを狙う、野球のトリックプレーだ。
今から31年前の1984年5月29日、西武-南海11回戦。この日、三塁手の立石充男(南海)は三塁走者・駒崎幸一(西武)に対し、隠し球を成功させた。当時、このシーンはプレーの巧妙さもさることながら、もうひとつの理由により大きな話題となった。
それは隠し球に気がついたテレビカメラマンによって、その一部始終が撮影されていたからだ。隠し球のシーンが映像に記録されたのは、これが日本プロ野球史上初。のちにそのシーンにみのもんたの軽妙なナレーションが合わさり、この隠し球は「珍プレー」の中でも珠玉の名作としてファンの間で語り継がれている。
仕掛けた男、ひっかかった男、見抜いた男。31年前の隠し球の主役たちに聞いた。
|シーン紹介 2回裏、西武の攻撃。1死二、三塁で9番行沢久隆はセンターフライを打ち上げる。この打球で三塁走者の石毛宏典がタッチアップしてホームイン。二塁走者の駒崎幸一もタッチアップで三塁に進んだ。
その続きは以下のイラストにて再現する。
イラスト:はるたけ めぐみ
|仕掛けた男 三塁手・立石充男
 1957年生まれ。1975年ドラフト3位で初芝高から南海入り。 写真:ストライク・ゾーン |
立石充男(掲載時・ハンファイーグルスコーチ)は、当時のことを鮮明に覚えている。
「隠し球は前にも二軍で3回くらい、やっていたんですよ。だから南海のみんなは、僕が隠し球をやりそうだというのは知っていました。隠し球はタイムがかかるとダメ。インプレー中でも、ボールを持っていないピッチャーがマウンド付近にいたらダメなので、ピッチャーの畠山(準)と、亡くなったショートの久保寺(雄二。翌年1月急逝)が2人でうまいこと時間を稼いでくれました。僕がボールを持っていることを三塁塁審の五十嵐(洋一)さんはわかっていましたね」 |
立石が外野からの返球を捕球してから、三塁走者の駒崎にタッチするまで(上のイラストの1~7)の間はおよそ30秒。三塁ベースから2~3m離れた場所で、ボールを隠し持っていた立石は、何を考えていたのか。
「あの時間は長かったですね。2アウトランナー三塁で、三塁コーチの近藤(昭仁)さんが駒崎に"無理しなくていいぞ"と話していたので、あ、気がついてないなと思いました。そして駒崎がベースを離れたので、"今だ"と思ってタッチしに行ったら、ギリギリ間に合いました。タイミングが良かったです。あの時、塁審の五十嵐さんは"アウト!"ってコールするのが早かったですね」
この隠し球が「珍プレー」としてテレビで大きく取り扱われると、立石は一躍時の人となった。11月にはフジテレビの番組で「第2回プロ野球珍プレー・好プレー大賞」を受賞する。「あの時は表彰式があるから東京のフジテレビに行ってくれと言われて、家に車が迎えにきました。行くまでは何で呼ばれたのか知らなかったのですが、スタジオに行ったらみのもんたさんに、"第2回珍プレー・好プレー大賞は立石さんです!"と言われて、大騒ぎでしたよ」
隠し球の後、途中交代。いったい何が?
この試合の記録を見ると、9番三塁で先発出場した立石は、隠し球を成功させた次の回、3回表にこの日の初打席を迎えた後、その裏の守備では池之上格と交代している。立石に何があったのか。
「1打席目、二塁打で出塁した後、バントで三塁に進みました。そこで2番の久保寺がセーフティスクイズをしようとしたのですが、それが空振りになって、急いで三塁に戻ろうとしたときに、人工芝と地面の切れ目のところで足を滑らせてしまいました。まぁ、隠し球のバチが当たったんですよ(笑)」。
立石はそれにより足首を骨折。ベンチに下がった。記録の「走塁死」の欄には、「駒崎(2回)、立石(3回)」と隠し球の当事者2人の名前が並んでいる。
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