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=はじめに= 広範囲に渡る津波の被害は、一部地域に限られたものではなく、国難とも言えるような大きなつめ跡を残しました。それは、時が解決してくれる規模ではなく、戦後、いや未だ戦時中ではないかと思うほどの状況にあります。 今回甚大な被害を受けた場所に岩手県沿岸部があります。沿岸南部にある大船渡市は私たち夫婦が婚姻届を提出した縁(ゆかり)ある土地です※。映像で伝えられる、思い出ある場所の変わり果てた姿。そこに生活していた人たちの人生をも大きく変えてしまいました。 「何かできることはないか」と思うも、私は無力です。ただ何もしないままでは、とても心身のバランスをとることはできませんでした。そこで微力ですが、時間がある時は災害ボランティアに行くことにしました。しかし私が現地に行ってもできることはほんのわずかです。ただそこで見て、聞いて、嗅いで、感じてきたことを伝えることで、他の誰かの行動や記憶に刻まれればと思い、現在に至っています。 たまにしか足を運べない身で、偉そうなことを言うつもりはありません。ただ、自分の国が置かれた、終わりが見えない厳しい状況に、何もしないではいられないのです。 下記ではブログに掲載した、これまでの災害ボランティアでの活動などをまとめています。数年後、「元には戻れないけど、新たな道を進めるようになったね」と笑顔で話せる来ることを願っています。 ※岩手県との細かな縁について、サイト上での記載は控えます。 |
・震災から1週間 ・大槌町へ ・大船渡市へ ・陸前高田市へ ・新年の大船渡市、陸前高田市へ ・秋・陸前高田市へ ・釜石市へ ・春・陸前高田市へ ・年末・陸前高田市、大船渡市へ ・年末・久慈、宮古、大船渡、陸前高田へ |
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大きな出来事を受け、今できること。 2011/3/19 日本に大きな出来事が起きてから1週間。 |
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岩手県大槌町へ災害ボランティア参加 2011/4/23 23日、今回の震災で大きな被害を受けた地域のひとつ、岩手県の大槌町へ災害ボランティアに行ってきました。 |
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大船渡市に災害ボランティアへと... 2011/5/3 先月の岩手県大槌町に続き、3日、同県の大船渡市に災害ボランティアへ。翌朝帰京し、4日は神宮球場へヤクルト対中日の取材に行きました。時間の都合で今回も、東京-盛岡間は行きも帰りも、夜行高速バスでの日帰りです。 |
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陸前高田市へ災害ボランティアに。など 2011/5/23 22日、神宮球場で試合前に少しだけ取材をし、その後移動、23日は岩手県陸前高田市へ災害ボランティアに行きました。 |
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新年。数か月ぶりに岩手県大船渡市、陸前高田市へ 2012/1/2 この年末年始を迎えるにあたり、しておきたいことがありました。それは縁ある岩手県沿岸部を訪れること。 |
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久々に陸前高田市に災害ボランティアへ 2012/9/14 陸前高田へは今年の正月以来。今回、街の様子を見て以前とは印象が異なっていました。それは津波の被害を受け、更地のようになってしまったところに、たくさんの草が茂っていたことでした。 |
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復興支援ボランティアで釜石に花を植えに 2013/4/26 これまで参加してきたボランティアに関して、「災害ボランティア」と記していましたが、ボランティアの役割としては、より細分化、あるいは専門的なものを必要とされる状況の中、当方のような、時折出向くような者にできることは限られ、それは「復興支援」と呼ばれる類のものへと変化してきました。 |
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復興支援ボランティアで陸前高田へ畑の土づくりに 2014/5/16 今回の行き先は陸前高田市。思い入れ深い土地のひとつであるこの地に訪れるのは、2012年9月以来です。壊滅的な被害を受けた市中心部は、大きく変化していました。 |
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震災から4度目の年越し。陸前高田、大船渡へ 2014/12/30 最近は震災直後のように短期的なボランティアのニーズは少なく、また年末年始ということで、今回は知人との再会を目的に陸前高田、大船渡を訪れました。 |
震災から5度目の年越し。久慈・宮古・大船渡・陸前高田へ 2015/12/28 →続きを読む.. |
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