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できることをこれからもずっと

=はじめに=
2011年3月11日、これまでの人生で経験したことのない事態が起きました。

広範囲に渡る津波の被害は、一部地域に限られたものではなく、国難とも言えるような大きなつめ跡を残しました。それは、時が解決してくれる規模ではなく、戦後、いや未だ戦時中ではないかと思うほどの状況にあります。

今回甚大な被害を受けた場所に岩手県沿岸部があります。沿岸南部にある大船渡市は私たち夫婦が婚姻届を提出した縁(ゆかり)ある土地です。映像で伝えられる、思い出ある場所の変わり果てた姿。そこに生活していた人たちの人生をも大きく変えてしまいました。

「何かできることはないか」と思うも、私は無力です。ただ何もしないままでは、とても心身のバランスをとることはできませんでした。そこで微力ですが、時間がある時は災害ボランティアに行くことにしました。しかし私が現地に行ってもできることはほんのわずかです。ただそこで見て、聞いて、嗅いで、感じてきたことを伝えることで、他の誰かの行動や記憶に刻まれればと思い、現在に至っています。

たまにしか足を運べない身で、偉そうなことを言うつもりはありません。ただ、自分の国が置かれた、終わりが見えない厳しい状況に、何もしないではいられないのです。

下記ではブログに掲載した、これまでの災害ボランティアでの活動などをまとめています。数年後、「元には戻れないけど、新たな道を進めるようになったね」と笑顔で話せる来ることを願っています。

岩手県との細かな縁について、サイト上での記載は控えます。

震災から1週間 ・大槌町へ ・大船渡市へ ・陸前高田市へ ・新年の大船渡市、陸前高田市へ ・秋・陸前高田市へ ・釜石市へ ・春・陸前高田市へ ・年末・陸前高田市、大船渡市へ ・年末・久慈、宮古、大船渡、陸前高田へ

大きな出来事を受け、今できること。

大きな出来事を受け、今できること。 2011/3/19

日本に大きな出来事が起きてから1週間。
ブログを書こうという気持ちになったので記しています。
当方の嫁の実家、岩手県岩手郡は、2日半、停電が続いたものの、大きな被害はなく無事でした。ただ、当方夫婦が婚姻届を提出した、縁のある大船渡市、そして太平洋沿岸部はとても厳しい状況です。
陸前高田市を映し出す映像には、広い100円ショップ目当てに行っていた、スーパー・マイヤの建物がかろうじて見える程度。言葉を失いました。
岩手県沿岸南部のみならず、各地で被害に遭われた方々のことを思い、そして、自分に何ができるのかと考えさせられました。
しかし、今の自分には例年以上に厳しい本作りの追い込み、他の業務、何より家族を守るという、まず、日常生活を保つことが一番に課せられた義務。直接、役に立てるようなことはできません。 続きを読む...


岩手県大槌町へ災害ボランティア参加

岩手県大槌町へ災害ボランティア参加 2011/4/23

23日、今回の震災で大きな被害を受けた地域のひとつ、岩手県の大槌町へ災害ボランティアに行ってきました。
上記ブログでも記しましたが、ずっと何かできることを探していました。その1つ目として、23日、1日時間が空いたので、前夜、東京発の高速バスに乗り、スコップ片手に岩手へ向かいました。(東北新幹線はまだ全通していません)
今回参加させていただいたのは、岩手県災害ボランティアセンターさんが、盛岡駅から日帰り支援用に用意してくれている、ボランティアバス。それにお世話になりました。
朝6時半、バス2台、約80人で大槌町に向かいました。都道府県で北海道の次に大きい岩手県。内陸部の盛岡から沿岸部までは車で3時間程かかります。
バスは遠野を過ぎ、釜石市へ。釜石の市街地に入ったところ、厳しい現実を目にすることになりました。結婚前の嫁と訪れた商店街のモスバーガーは、1階部分が変わり果てた姿になっていました。その光景に涙がこみあげます。ただ被害の状況としては、まだ原型をとどめている方で、そこから海寄り、川沿いへ向かうと、形容するのが難しい状況が続きます。
釜石市を北上し、10時頃、大槌町に到着。降りしきる雨の中、畑の中に流れ着いた、木材などの数々を撤去をすることになりました。 続きを読む...


大船渡市に災害ボランティアへと...

大船渡市に災害ボランティアへと... 2011/5/3

先月の岩手県大槌町に続き、3日、同県の大船渡市に災害ボランティアへ。翌朝帰京し、4日は神宮球場へヤクルト対中日の取材に行きました。時間の都合で今回も、東京-盛岡間は行きも帰りも、夜行高速バスでの日帰りです。
今回も岩手県社会福祉協議会さんと、名鉄観光サービス盛岡支店さんが用意してくれた盛岡駅からのボランティアバスにお世話になりました。
大槌町では畑に流れ着いた家屋などの撤去を雨の中行いましたが、今回は大船渡市を流れる、盛川(さかりがわ)の河川敷の清掃をしました。
前回のような、変わり果てた街の姿を目にしての作業ではなく、今回は河川敷の公園が活動場所。盛川河川敷公園は地域の方々がグラウンドゴルフやジョギング、野球、サッカーなどを楽しむ、市民に愛される場所だそうです。
本来芝生に覆われていたという部分は、多くの土砂が堆積し芝が見えません。河口から約2キロ離れているのですが、辺り一帯には強い潮の匂いが。そして、水産工場や港から打ち上げられたのでしょうか、多くの魚、蟹、貝が散乱し、魚からも臭いが放たれます。 続きを読む...


陸前高田市へ災害ボランティアに。など

陸前高田市へ災害ボランティアに。など 2011/5/23

22日、神宮球場で試合前に少しだけ取材をし、その後移動、23日は岩手県陸前高田市へ災害ボランティアに行きました。
今回も個人での日帰りボランティアの強い味方、岩手県社会福祉協議会さんと名鉄観光サービス盛岡支店さんでご用意くださったボランティアバスで、盛岡駅から陸前高田へ向かいました。
陸前高田は街全体が大きな被害を受けたことを、映像や新聞記事などで知ってはいました。しかし、以前買い物で何度か訪れた、スーパーのマイヤの建物などを除き、跡形もなくなってしまった実際の光景を目の当たりにすると、言葉がありませんでした。
高田松原の野球場は、照明灯があることでそれとわかるような状況。高田松原の公園自体は姿が見えず、海の中になってしまったようです。
釜石市などでは現在も家屋の泥だしボランティアが行われていますが、陸前高田の場合、被害を受けた住宅の中で原型をとどめている住宅が、あまりありません。ということで今回の作業は、未だ手付かずで重機が入っていない、田んぼに流れ着いた家屋、家財の撤去を行いました。
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おおふなと夢商店街

陸前高田一本松 陸前高田一本松

新年。数か月ぶりに岩手県大船渡市、陸前高田市へ 2012/1/2

この年末年始を迎えるにあたり、しておきたいことがありました。それは縁ある岩手県沿岸部を訪れること。
以前ほどではないとはいえ、依然ニーズはある、災害ボランティア活動をしたかったのですが、各ボランティアセンターとも、年末年始はもちろんお休み。
ということで、今回はこれまでの一人での訪問ではなく、以前、大船渡に住み、勤務していた嫁と、1月2日に想い出の場所などを巡りながら、現状を知るために出向きました。
再三書いているように思いますが、都道府県で北海道の次に大きい岩手県。内陸部の盛岡から沿岸部までは、車で約100キロの道のりです。県内の移動とはいえ、そこそこの道程となります(しかも主要ルートは一般道)。
まず訪れたのは、昨年12月上旬に大船渡駅の西側にオープンした、「おおふなと夢商店街」。
以前は駅周辺で営業していた、地元の人にはおなじみの約30店舗が、プレハブの仮設施設で営業を開始しました。プレハブ造りというと、少々さみしい印象もあるかもしれませんが、地面にはウッドデッキが敷き詰められ、店舗間の屋根には、イルミネーションもあり、とてもおしゃれです!当方、元々ウッドデッキが大好きなので、お買い物を楽しもうという気分になります。
八百屋さんには近隣の住田町の産直野菜が並び、お客さんとお店の人の会話からは「カレーのルー、探してたのよ〜」という、明るい声が聞こえてきました。
ウチの嫁は仕事柄、地元の方々を数多く知っているのですが、商店街では知っている方のお店や、開店祝いのお花に名前を見つけるなどして、それぞれの近況を垣間見ていました。
スポーツ用品店には野球のグローブをはじめ、各種目の用具たち。 続きを読む...


陸前高田

久々に陸前高田市に災害ボランティアへ 2012/9/14

陸前高田へは今年の正月以来。今回、街の様子を見て以前とは印象が異なっていました。それは津波の被害を受け、更地のようになってしまったところに、たくさんの草が茂っていたことでした。
もし、この場所に津波が来たことや、昨年3月以前の姿を知らない人が見たら、「元々、空き地だった」と勘違いしてしまう程です(当然、違います)。
東京の臨海副都心には同様に草で覆われた空き地がかなりありますが、それに近しい光景です。草は高いもので人の背丈程に達するものもあり、自然の強さを感じます。
その草が茂っている姿、言い換えるならば、大きな被害を受けた陸前高田が、前に進んでいることを表している証でもあります。というのも、他の地域では津波によって被害を受けた建物の土台、基礎の部分が残っていますが、陸前高田の市街地にはそれがありません。既に土地所有などの調査が終えていることを表しているのではないかと思います。
今回、同じバスに乗車した18人の任務は、以前、クリニックがあった敷地に、みなさんが憩えるあずまやと花壇を作るということで、そのための草刈りでした。
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復興支援ボランティアで釜石に花を植えに 2013/4/26

これまで参加してきたボランティアに関して、「災害ボランティア」と記していましたが、ボランティアの役割としては、より細分化、あるいは専門的なものを必要とされる状況の中、当方のような、時折出向くような者にできることは限られ、それは「復興支援」と呼ばれる類のものへと変化してきました。
そのような一過性のボランティアの必要性が減る中、当方は、継続してボランティア募集をしている、北上市の社会福祉協議会さんのバスに昨年の9月に引き続き乗車し、ボランティア活動をしてきました。
今回の活動は釜石駅近くの街路樹に花を植えるというもの。このような作業は、決して市民生活に直結するものではなく、必要なものかというと、「しなきゃ困る」という類のものではないでしょう。
ただ当方としてはこういったものを通して現地に出向き、感じたことを何らかの形で記すのが、数少ないできることだと思って続けています。
北上から用意した花々、約200数十株。これらを街路樹に植えていきます。
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復興支援ボランティアで陸前高田へ畑の土づくりに 2014/5/16

今回の行き先は陸前高田市。思い入れ深い土地のひとつであるこの地に訪れるのは、2012年9月以来です。壊滅的な被害を受けた市中心部は、大きく変化していました。
高くそびえ左右に延びる鉄骨。「○○大橋」といったものを思わせますが、これらはすべて、高台造成用の土砂を運ぶためのベルトコンベヤーでした。
更地となった広大な土地に延びるベルトコンベヤー。切り崩された山から運ばれた土砂が吐き出されます。
かさ上げされた部分。斜面に芝が植えられている箇所もありました。このような高台がいくつかできていますが、すべて完成するには、とてつもない時間がかかるように思います。
ベルトコンベヤーの稼働については、3月24日付の以下の新聞記事で詳しく記されています。 続きを読む...


震災から4度目の年越し。陸前高田、大船渡へ 2014/12/30

最近は震災直後のように短期的なボランティアのニーズは少なく、また年末年始ということで、今回は知人との再会を目的に陸前高田、大船渡を訪れました。
前回も記しましたが、陸前高田の市中心部には、高台造成用の土砂を運ぶベルトコンベヤーが左右に行き交っています。
昨年10月22日の下記の記事によると、事業全体の完了は2018年度の見込みとのこと。
仮設住宅で生活する人は昨年8月末現在、陸前高田市で約4千人、大船渡市で約3千人とのことで(東海新報社2014年9月11日付)、地域の再建が待たれるところです。
以前訪れた時との変化では昨年8月に奇跡の一本松駐車場内に、観光物産施設「一本松茶屋」がオープン、また近隣には「復興まちづくり情報館」が設置されました。
かつて7万本の松林があった高田松原で、震災後に残った一本の松、いわゆる「奇跡の一本松」はこの地の象徴的な存在となっています。この奇跡の一本松近くにはJR大船渡線BRT「奇跡の一本松駅」が昨年10月から常設化されました。 続きを読む...



震災から5度目の年越し。久慈・宮古・大船渡・陸前高田へ 2015/12/28 →続きを読む..

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