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31年前の珍プレー 日本一有名な「隠し球」の主役たち 3/4ページ

2015年5月29日(肩書などは掲載時のもの)

 

見抜いた男 カメラマン・大谷義勝


1940年生まれ。スポニチテレビニュース社を経て、東京フィルム・メートに所属
写真提供:大谷美和子

 この隠し球を撮影したのはフジテレビ「プロ野球ニュース」を担当した、東京フィルム・メート所属の大谷義勝カメラマン。当時について、大谷の同僚だった国岡亮介はこう振り返る。

「カメラマンの中で、誰が最初に隠し球を撮るかって競っていました。隠し球は二塁手がやることが多いので、山崎裕之(ロッテ、西武)や元木大介(巨人)のようなくせ者が守っている時は、ランナーが出ると、カメラマンは狙っていましたね。だから大谷さんが隠し球を撮った時は、みんな、"やられた"って言っていました」

 この頃、プロ野球ニュースの1コーナーだった「珍プレー・好プレー」が人気を集め、シーズンオフにはゴールデンタイムに特番が組まれるほど好評を得ていた。カメラマンには「隠し球を撮ったら金一封」というお達しもあり、彼らはファインダーを覗く眼におのずと力が入っていった。

 31年前、テレビ各局はニュース映像用に、概ね2台のカメラを球場内に配置していた。1台は通称「上カメ」と呼ばれるバックネット裏、もう1台は一塁側ダッグアウト横の「下カメ」。大谷はこの日、上カメを担当していた。国岡は上カメの役割をこう話す。「プレーを追うのがメインで、ランナーがいる時は、各ベースのランナー紹介を撮って、そしてピッチャーを撮ります」。

 この場面ではタッチアップで三塁からホームインする走者を下カメが撮り、上カメは二塁から三塁に進んだ駒崎を撮った。その後、上カメは本来ならレンズをピッチャーに向けるところだが、大谷はそのまま三塁ベース上を撮り続けていた。この時のことを大谷は、その年11月の「珍プレー・好プレー大賞」に出演し、こう話している。「立石選手のグラブの中にボールが見えました。(隠し球が成功するように)タイムがかからなければいいなと、心臓がどきどきしながら見ていました」

 三塁走者の駒崎をはじめ、多くの人がだまされた隠し球。では大谷はなぜその瞬間を見逃さなかったのか。国岡はこう話す。「みんな隠し球を撮りたいと思っていても、いつ起きるかわからない隠し球のことは忘れがちです。でも大谷さんは毎日、”隠し球を撮る”と、野手の動きを追っていました。ボールから絶対に目を離さない人でした」

 当時、編集を担当していた豊口薫(東京フィルム・メート)は大谷にまつわるエピソードを話した。「ゴルフのテレビマッチで、大谷さんがグリーン脇でカメラを構えていた時です。青木功さんの高く上がったバックスピンの効いたアプローチショットが、グリーンを外れて大谷さんの額に直撃したことがありました。大谷さんになんで避けなかったのかと聞いたら、"避けられたけど最後まで撮り続けるのがプロだ"と言うのです」。日本初の隠し球映像は、ボールから目を切ることなく、レンズを向け続けた大谷だからこそ撮れたものだった。

残された新聞スクラップ

「口数の少ない人だったので、仕事の話はほとんど聞いたことがないんです。隠し球のことも、"撮るのは大変なんだ"とだけ話していました」。大谷の妻・美和子は言う。

 大谷は昨年7月、肺がんでこの世を去った。73歳だった。「いつもはご飯を山盛り食べる人が、半分しか食べないからおかしいと思って病院に行ったんです。そうしたら肺がまっ黒だと。その数日後には亡くなってしまいました」

 多くを語らず、家庭に仕事を持ち込まなかった大谷。しかし、隠し球を扱った当時の新聞・雑誌の切り抜きは、31年経った今でも、きれいな状態で自宅に保存されていた。

大谷が大事に保存していた当時の新聞記事のひとつ(サンケイスポーツ)には「撮った隠し球 お茶の間に初めて放映」「大谷カメラマン快挙」「執念の”目”実る」の文字が躍る

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